2017年01月09日

鍋島直正公『診察御日記』その10

鍋島直正公『診察御日記』その10

明治4年正月18日に直正公は息をひきとります。

1月の診療日記は、日に日に衰えていく直正公に対して、懸命に治療を続ける侍医(松隈元南)とヨングハンスらの診療がみえてきます。

1月1日の記録では、キニーネやモルヒネを使って下痢や発熱を抑えようとしています。
1月4日にはラウダニウムを使って浣腸をして、体内の毒を出そうとしています。

明治四年未正月元日、朝御軟便一行黄色中量、御丸薬 規尼捏一ゲレイン、謨爾比捏三分ゲレインノ一右四回ニ御分服。


1月5日にはオクリカンキリを初めて使っています。
オクリカンキリはアメリカザリガニの胃石で、眼病や万能薬として使用されていました。

一 同五日、暁六字御瀉下多量、爾後四度斗、少々ツ丶御下敷ニ泄ル。
第三字一行水瀉中量、夜六字一行同、同、三字半一行同、臭気尤モ甚シ。御酸敗アリテ御胸燩カ如キヲ覚フ。
オクリカンキリ一匁右三包ニ分、鹿角煎ヲ以御冷服。


1月6日にヨングハンスと司馬量(凌)海が診察にやってきました。
ヨングハンスの処方は、「カリサーエッセンス半℥、ステレキニーネ四十分ゲレインノ一、キニーネ一ゲレインヲ加フ。」というものでした。


1月7日からの食事は、ご飯よりも雑炊が多くなります。
噛む力も衰えてきたからでしょう。
これまでの容体書を富岡十蔵に佐賀へ遣わして届けさせました。
おそらく臨終の近いことを伝えさせたことでしょう。


1月8日に、ヨングハンスと司馬量海が診察にやってきて、新しい治療法を提案しました。
それは、尻から、牛肉などの煮汁を入れて栄養をつけさせるというものでしたが、松隈元南は、その方法はかえって直正公の体力を奪うことになるし、どのくらいの効果があるか疑問として、採用せず、その提案のみを記しています。

ヨンハン并量海拝診。血液ノ滋養不足、至極ノ御衰弱ニ付、専ラ滋養ノ食餌ヲ希望スルノミ。今御食機減乏、已ニ何トモ無ケレハ、直腸ヨリ之ヲ奬ムヘシト云。然レトモ遂ニ御用ヒナシ。
縦令ヒ強ク之ヲ行トモ幾許ノ効アランヤ。徒ニ御難渋ヲ増スノミ。
然トモ普医、喋々頻リニ其効験ヲ述故ニ只其用方ヲ記スルノミ一封度ノ牛肉ヲ煮テ六℥ノ液ヲ取リ、初メノ用方三℥ノポールト酒ヲ和シ行フ。
第二ニハ半℥ヲ加へ、第三ニハ復タ半ヲ減ス。


1月9日は、朝牛乳を飲んでいます。
牛乳は毎朝欠かさず飲んでいました。
さすがに西洋の文物好きな直正公でした。


1月10日には、ヨングハンスと司馬量海が診察にやってきましたが、薬は休んで、飲食の衛養(栄養)のみでの治療をすすめています。

今日中諸薬液御休止、只御飲食ノ衛養ノミ加密列湯ニテ御全身ヲ浄拭ミ芳香水ヲ綿片ニ浸漬シ、処々御骨痛ノ部ニ敷ク。
戔位以下準之。御汁二杯、六字半御雑炊八十戔。
御向少々御大便ナシ。御小用晝夜八度。
御煎薬、 鹿角濃煎ニ甘硝石精一℥、桂露ニ少シ加フ 三字御全身浄拭。


1月11日からは御飯でなく雑炊に切り替えています。
長い寝たきり生活ですから全身を冷水できれいに拭いてあげています。


1月16日に正四位様、すなわち11代直大公が到着します。
死後の近いことが伝えられ、死に目に会いに上京したものでしょう。
直大公は、1869年に正四位下右近衞権少将となっています。

一 同十六日、暁五字半御大便中量滑、十二字御粥三十一戔、五字肉羹汁一椀此品雀液ト交時々上ル、六字御粥二十戔、牡丹餅一、晝三字比正四位様御着京。


1月17日、ヨングハンスが司馬量海とともに来診し、エリキシル。シフカリサア。ウイツ。アイロン。及トリキヒンを投与しています。
訳すと黄幾那、兼鉄香木、鼈合剤です。さらに、長い間横になっていた床ずれによる湿疹については、冷水で洗い、芳香水で洗い、バルサム(樹脂油)を1℥、石炭酸五滴を合わせて患部に被せてきれいにしています。
脈はわずかに指下に応ずるのみになってきています。

一 同一七日、十二字御大便琶布状中量、一字御粥二十七戔、夜六字半御粥十戔、御雑炊十一戔、牡蠣汁一椀、宵ヨリ微御発熱、御手足或時温或時冷、御精神胱惚トシテ明了ナラス、御脈微弱、僅ニ指下ニ応スルノミ。
晝二字比、普医沃武華并司馬量海拝診。
エリキシル。シフカリサア。ウイツ。アイロン。及トリキヒン 訳云黄幾那、兼鉄香木、鼈合剤右半茶匕ヨリ始メ一茶匕ニ至ル。
日ニ三次御眠瘡ノ部ハ始メ冷水ニテ洗ヒ、後ニ芳香水ニテ再ヒ洗ヒ、バルサムヘーリュ一℥、石炭酸五滴合テ綿布ニ浸シ、御患部ニ被フ。


1月18日、朝4時半ごろから脈がほとんどなくなり、薬液も飲み込めず、呼吸が次第にかすかになって、6時ごろ、ついに直正公は息を引き取りました。
直正公、享年58歳。
1月23日に正二位が授与されました。
日記は以下の記述で終わります。

一 同十八日暁、四字半比ヨリ、御脈指下ニ応セス。
薬液ノ御嚥下出来兼御呼吸次第ニ幽遠、六字比遂ニ御大切ニ及バセラレタリ。
一統恐怖シ奉リソロ。

鍋島直正公『診察御日記』(了)




※本文は、幕末佐賀研究会 会長の青木歳幸氏の2015年11月19日 Facebookから転載しています。今後、青木先生の了承の下、ブログ管理者がランダムにアップして行く予定です。


同じカテゴリー(鍋島直正公『診察御日記』)の記事画像
鍋島直正公『診察御日記』その2
鍋島直正公『診察御日記』その3
鍋島直正公『診断御日記』その4
鍋島直正公『診療御日記』その5
鍋島直正公『診察御日記』その6
鍋島直正公『診療御日記』その7
同じカテゴリー(鍋島直正公『診察御日記』)の記事
 鍋島直正公『診察御日記』その1 (2017-01-18 10:56)
 鍋島直正公『診察御日記』その2 (2017-01-17 09:28)
 鍋島直正公『診察御日記』その3 (2017-01-16 09:18)
 鍋島直正公『診断御日記』その4 (2017-01-15 10:26)
 鍋島直正公『診療御日記』その5 (2017-01-14 11:07)
 鍋島直正公『診察御日記』その6 (2017-01-13 09:12)

Posted by bakumatusaga at 09:51 | Comments(0) | 鍋島直正公『診察御日記』
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。